April 11, 2012

KCCN 春の高野山



春の高野山


気持ちのいい晴天に恵まれた4月8日、KCCN主催「春の高野山」が開催されました。花祭り、阿字観、精進料理、お茶会などの盛り沢山の内容に、日本の伝統と文化にふれたいと、総勢25名が期待に胸を膨らませて、金剛峯寺前に集合。まずは、
白馬から、金剛峯寺の概要を聞き、見学の歩をすすめました。

中に入った時、ちょうど、花祭りの法会がすんだところで、赤い袈裟衣の法印さんと紫衣姿の座主さんの退場を、そこに居合わせた者は皆、手を合わせて、お見送り。それだけで、なにかご利益をもらったような気がするから不思議です。その後、お接待の甘茶をいただきました。なんと美味しいこと!甘茶というお茶の葉があって、高野山の店で買うこともできるそうです。

大広間、柳の間、守屋多々志画伯作の襖絵の説明・・知っていたつもりの豆知識も、修行された僧侶の目から見た説明には、目を見張るものがありました。
たとえば、豊臣秀次の切腹は、殺生を禁じる高野山では異例のことであったとか、襖絵のテーマは「にっとうぐほう」(入唐求法)であり、名もなき日本の僧だった空海が、中国を去る時は多くの見送りの人々が見えるとか、襖絵は弘法大師の目から見た風景であるとか、「虚往実帰」の額の説明等々、目のつけどころが違います。ガイドの時の説明の仕方に、大いに参考になりました。

そんな白馬氏による「阿字観体験」もまた、素晴らしいものでした。
普段は入れない阿字観道場に続く廊下を渡り、小さいながら厳粛な雰囲気を漂わせる室内に足を踏み入れます。でも、そこは、煩悩人の集まりで、「イヤア寒いなあ」「足を伸ばしてもいい?」と言いたい放題。ひざ掛け、ざぶとんを貸してくださり、立ち上がったり、頭を床につけたりなど、仏さまへの挨拶の仕方を教わり、瞑想の目的や意味、また、サンスクリット語の「ア」の意味などの説明を受けました。そして「数息観」「阿息観」の極意を実践したのです。
真似事ながら、しばしの瞑想は、私の心の深部に静かに入り込み、ざわざわした日常や心情から、解き放されたような気がしました。

阿字観道場を出た、その後も、奥書院、上壇の間、土室の間、台所と、白馬氏の楽しい説明が続き、久しぶりに入った金剛峯寺を満喫しました。
お釈迦様誕生時の「唯我独尊」の像に甘茶をかけるのも面白い体験でした。




ちょうど、お昼時。お腹がすいたところで、私達は普門院へ移動。そこで、精進料理をいただきます。
一の膳には、天ぷら、ゴマ豆腐、酢の物、ご飯、味噌汁、漬物。二の膳には、色よく並べられた煮物類や小鉢、ぐつぐつと湯気をたてる鍋、そしてデザートと揃えられていて、本当に美味しそうです。
春らしいふきのとう、干し柿の天ぷら。高野豆腐やこんにゃく、生麩、ゆば、くこのみ・・・どの料理も繊細で、本当に美味しくて、私は完食。お腹一杯になって大満足でした。実は、お喋りしながらガツガツ食べてしまって、(ご飯、お代わりの人もあり(笑))松山さんの解説、精進料理の「五味五色」をじっくりと味わうことは、なかったのですが、改めて意味を理解し勉強になりました。

普門院は、小堀遠州が作庭したと言われる名庭園も魅力です。そして、本格的な茶室もあるのです。食後、私達は庭園鑑賞を楽しんだ後、茶室の待合所へ案内されました。そこで、なんとサプライズで、和歌山在住の瓦野 早紀子さんの二胡演奏を聴くことができたのです。気さくなお人柄の瓦野さんは、中国の伝統楽器、二胡の説明を交えながら、私達のリクエストにも快く応じてくださり、風林火山やダッタン人の踊り、花、などなど次々と演奏して下さって、異文化に接する機会を持つことができました。独特な音色を出す二胡を、まじかに見たのは初めてで、竹と馬のしっぽで出来た弓と、へびの皮を張った本体がくっついているのが面白い。バイオリンなどの西洋楽器とちがうところです。


(瓦野さんのプロフィールと二湖の演奏会について)

最後のイベントが、本格的茶室での、お茶会です。人数が多かったので、3グループに分かれて、お抹茶を頂いたのですが、3グループ目の私達は、気心の知れたメンバーばかりで、ちょっと笑いすぎた観も。小さなにじり口に笑い、作法の不器用さに笑い・・そんな中、城野さんのお手前は、さすがに凛として、優雅で素晴らしかったと思います。ほんわかと包み込むような笑顔の城野さんに、茶室でのいろんなことを学び、美味しい和菓子とおうすで、和気あいあいとしたお茶体験でした。お世話くださった方々の着物や所作に、日本のよさを改めて感じ、当たり前で何気なく見過ごしてしまいがちな日本文化の何たるかを学び、少しでも何かを伝えられるような人になりたいと思いました。

本日のイベント「春の高野山」に参加された方々は、きっと満足され、またお世話くださった方々は、充実感と達成感も味わわれているのではと思います。私は、ただただ感謝の気持ちで一杯になりました。ありがとうございました。